Friends05: Hiromasa Tsujii Interview Part.1

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ヨシオクボゆかりのクリエイターたちを紹介する「FRIENDS」。今回登場するのは、ヨシオクボのコレクションデビュー以来、ランウェイショーの演出を担当している辻井宏昌氏。20年のキャリアを持ち、シーンのトップを走り続ける辻井氏のバックグラウンドに、デザイナー久保嘉男が迫る。

久保:世の中には、演出家という仕事がどんなものかしっかり理解できていない人も多いと思うんですけど、そもそも辻井さんはどういうきっかけでこの仕事を知ったんですか?

辻井:幼稚園の頃からオシャレが好きで、洋服や髪型を気にするようなカッコつけだったんだよ(笑)。地元が名古屋駅のそばで、都会で生まれ育ったんだけど、お祭りの時なんかにはお囃子の頭をやったりしていて、もともと祭り好きの仕切り屋で、オシャレが好きだった(笑)。親父はまったくタイプの違う人なんだけど会計士をやっていて、一応自分も会計士の勉強をしていたんだけど、やっぱりファッションがやりたくて。ちょうど当時はメンズのスタイリストが台頭してきた時期で、自分もそういう方向に進みたくて、服飾の専門学校に入ったんだけど、入学してからクラス委員をやることになったのね。そうするとクラスをまとめないといけないわけだけど、それが嫌いじゃなかった(笑)。授業でファッションショーをする時も、役割的に自分が仕切らないといけなかったんだけど、音楽やライティング、モデルの歩き方などを考えていくことがあまりにも面白かったんだよね。

Spring / Summer 2009 from yoshio kubo on Vimeo.

久保:そういうのは全部我流でやっていたんですか?

辻井:完全に我流(笑)。もともと音楽も好きだったから、クラスみんなの選曲を自分がやったり、見様見真似でディレクター的なことをしていて。2年生になった頃から演出家になりたいと思うようになったんだけど、当時はまだ情報が少ないなかで、自分がカッコ良いと思うショーの写真を雑誌とかから切り抜いたりしていたら、そのほとんどが若槻(善雄)さんの演出だったのね。写真一枚だけでも伝わるほど強い演出で、「オレはこの人になりたい!」と思うようになったんだけど、3年生の時の卒業ショーの演出で、若槻さんがうちの学校に来ることになったんだよ。自分が通っていたモード学園は、毎回プロが卒業ショーの演出をしていたんだけど、まだ自分は3年生だったにも関わらず、先生が後押ししてくれて、当日の演出家付きをやらせてもらえることになって。そこで何をしたら演出家に一番響くんだろうということ考えて、リハの時にタイムウォッチで時間を測って、それメモして渡してみたり、自分なりに色々やっていたら気に入ってもらうことができた(笑)。

久保:メチャクチャできる子だったんですね(笑)。

辻井:学生の頃からイベントを企画したり、新しくオープンしたクラブのメニューを書いたりしていて、器用な子だったんだよ(笑)。若槻さんが「アイツ良いね」と言ってくれたこともあって、当時若槻さんがいた会社で働くことが決まり、上京することになった。

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久保:そこからもう20年くらいこの仕事をしているんですよね。そう考えると、凄く長いキャリアですよね。

辻井:そうだね。ファッションショーも時代とともに変わってきているよね。80年代は、淡々と続くようなショーが主流だったんだけど、肩パットがバチーンと入ったモデルが闊歩してくるようなビカビカな演出で、ザ・ファッションショーという感じだったんだけど、90年代になるとショーからステージがなくなったんだよね。当然モデルがステージの上を歩いていた方が洋服は綺麗に見えるんだけど、同時に色んな意味でステージが上がってしまうところがあった。80年代はそういう時代だったけど、90年代に入ると、見ている側と同じ視点から日常のリアル感を表現することが主流になって、ショー会場も多様化していった。そんな時代を作ったのが先輩たちの世代なんだけど、その次の自分たちの世代というのは、まだそこまでの発明はできていないと思っているところがあって。

久保:実際に仕事を始めるようになってからはどんな感じだったんですか?

辻井:入ったばかりの頃は全然仕事が手につかなかったよ(笑)。モデルさんは綺麗だし、芸能人が会社にフィッティングに来たり、初めて現場に入った仕事がコム デ ギャルソンのショーだったりして、もう舞い上がっちゃって。昔からどこにでも「どうもー!」って感じで入っていくタイプだったから、入社3ヶ月後くらいにはもう「誰がコイツを入れたんだ」と社内で問題になったりして、何度も首になりそうになった(笑)。失敗も色々してきたんだけど、自分の中で大きなきっかけになったのは、やっぱりやっちん(三原康裕氏)のショーかな。当時まだ無名だった自分が演出を引き受けることになったんだけど、同世代だったこともあって、自分たちが思うことをぶつけ合いながら、ショーを作っていくことができたし、一緒に面白いことやっていこうぜという感じで取り組むことができたんだよね。

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to be continued…